他と比較しない

比較することは時と場合によっては、良くない効果を生みます。

子どもと背の高さを比較しておりましたが、いつの間にか抜かれてしまいました…。

比較すること

比較することが必要なこともあります。
比較するもの(自分やモノ)の位置がどのあたりにあるかを知りたい場合には、比較を行います。

スーパーで、山のように積んであるバナナの中から、良いバナナを選びたいときは、
同じ価格帯の他のバナナと比べて、自分が満足できるバナナを見つけます。
しかし、他の価格帯のバナナにより良いものがあった場合、価格が異なるので、
あきらめることができるでしょうか。
あまりにも高ければ、あきらめるでしょうが、ほんの少ししか値段が違うのであれば、
そのバナナを取ることもあるでしょう。
ひょっとすると、近くの他のスーパーに行けば、もっと良いバナナが安く売っているかもしれません。
その場合、他のスーパーに行くでしょうか。
距離が近ければ行くかもしれませんが、遠ければ行かないでしょう。
スーパーではなく、ディスカウントストアだったら、どうでしょうか。

比較は危険

このように比較すると、あれやこれやと悩んでしまい、きりがありません。
上と比較しても、下にもたくさんいたり、下と比較しても、上には
たくさんいたります。
時間や労力を使えば、いくらでも他と比べることはできます。

例えば、年収を比較しても、上は千万単位ではなく、億の方もいらっしゃるでしょうし、
下は収入のない人もいます。
比較をしても、基準がどこにおくかによって変わってくるため、意味をなさなくなります。
正しい位置は、その時々の状況で変わるので、今日良いと思っても、明日になると
悪いということになってしまうこともあります。

比較して自分のポジションを知ることで、発奮してもっと上を狙いたいという
モチベーションが必要な場合には、比較も役に立つかもしれませんが、
そのようなケースは常にあるわけではなく、まれでしょう。
仮にモチベーションを上げ続ける必要があっても、目的が達成できなければ、
最後には疲れてしまうだけです。

比較をしない生き方

比較をしないという生き方がおすすめです。
比較をしても、きりがありませんので、比較をしてなやんだり、
なげいたりする時間を、もっと役に立つことに使います。

比較をするにしても、比較することが必要になった時だけ比較をする。
自分を過去と現在で比較することもあるでしょう。
良かった時に戻ることはできませんので、比較しても意味はないと
考えるようにしています。

今現在の自分にとって最良であれば、それで十分と考え、最良でなければ
良くなるように変えていくだけです。
比較はしないで、自分が最良と考えるものを見つけることを優先していくのが良いです。