無心でいること

漢字で書くと、心が無いと見えます。
心を平穏にして、一定の気持ちでいつづけることも同様に意味していると思っております。

心も顔も無心です。

見えないところで

無心で過ごすことができればと思うことがあります。
毎日、悩んだり、怒ったり、喜んだり、心の中はさまざまに変化します。
ひとつひとつの小さなことにも、気持ちは変化したります。

その気持ちの変化をすべてさらけ出すことができればよいのかもしれません。
しかしさらけ出すことで、逆に自分に影響を及ぼすこともあります。

なので、人には見えないところで無心になれるようにしております。

顔の表情まで無心にしてしまうと、面白みがない人に見えるかもしれません。
それはそれで特徴となってよいのかもしれませんが、自分が望むものとは違います。
そうなると、表の表情とは別に気持ちだけでも無心になれるようにします。

考え方も同様に

無心なのは、気持ちだけではありません。
考え方も無心にします。
どちらかというと、気持ち以上に、考え方を無心にしたいのかもしれません。

無心にすることで、自分の軸がぶれないようになります。
軸がぶれないようになると、考え自体が固まるばかりではなく、行動もそれにしたがい、筋の通ったものになります。

無心でいること

現実には、常に無心でいることは難しいです。
色々な感情が沸き上がってこそ、生きていることを実感します。
喜怒哀楽が無いと、面白味がない生活になります。
このため、きどあいらくをかんぜんしゃだんすることをめざす
これらの感情を抑えるというわけではなく、これらの感情が沸き起こっても、自分の考えや気持ちが左右されないようにすることを目指します。

色々な場面で、無心になることをおすすめします。
違った世界が見えてきます。