税金を逃れてはならない理由

税金はできるなら、払いたくないのではないでしょうか。
でも脱税は行ってはいけません。
その理由について考えることがありましたので、紹介いたします。

払うべきところには払う、が基本です。
願掛けをしたのであれば、お賽銭を払います。

自分だけ良ければよいのか

脱税をしたいと考えるとき、「自分」は税金を払いたくないという考えから脱税に至るのかと思います。
見つからなければわからない、他の人もやっている、自分だけが損をしている、などなど色々な理由で脱税をしてしまうのでしょう。
脱税をするということは、それなりにお金を持っている資産家や富裕層に限られるのかもしれません。
実際のところは、資産や富裕層に限らず、脱税を考えてしまうのが、現状ではないでしょうか。

自分だけ逃れることができれば、それでよいのでしょうか。
自分が税金を逃れると、どうなるのでしょうか。

自分が逃れるとどうなるか

本当は税金を払わなければならない人が、税金を逃れると、他の人たちがそれを負担することになります。
本来支払うことが予定されていた税金が、払われなくなるのですが、その穴埋めに他の人たちが払わなければならなくなります。
税金を逃れた分、社会の仕組みを止めてしまっても問題なければそれでよいのですが、止めることはできません。

税務署や国税局の方々も、この考えに基づいて、納税者が脱税していないかを調査するということもあるのではないかと考えます。

元最高裁判所裁判官の藤田宙靖さんが『行政法総論』という本の中で、「1人に対する授益的措置は,他の総ての者に対する不利益措置となる」と述べられております。
この言葉は、まさにひとりの脱税行為による穴を、他の人たちが埋めるということに当てはまるのではないかと思っております。

払うべきものは払うのが基本

税金は払うべきものですので、定められたお金をきちんと払わなければなりません。
節税を考えて、決められた法律の範囲の中で、払うべきお金を最小限にして払うことは問題ありません。
このようにして払われなかったお金は、当初から見込まれた額のお金ですので、問題はないでしょう。

脱税された金額は、当初から予想されていないお金ですので、穴ができたら、何とかして手当てをする必要が出てきてしまいます。
租税回避も、想定されない手法により税を逃れたわけですので、この観点においては、脱税に近いことになるでしょう。

繰り返しになりますが、脱税は他の人たちの迷惑にもなりますので、行わないでください。