余計な勉強はあるのか?

余計に勉強をすることはよくないのでしょうか。


インプットばかりではよくないですが、時にはインプットも必要です。

余計な勉強とは

勉強ばかりが能ではないでしょう。
学生の頃は、勉強ができたところで、その後の生活にどれほど影響があるのか、と思っておりました。
確かに、複雑な公式の数学や古文や漢文、第二外国語など普段の生活に直接影響がないものは、知らなくても生きていくことはできます。
実際に多くの人は知らずに生きています。

だからといって、それらを学ぶことは、余計な勉強になるでしょうか。

恐らく、無理やり学ばされた人からすると、余計な勉強になるでしょう。
知りたくもない知識を無理やり覚えても、その勉強の意味を知らなければ、身につかないでしょうし、身に着けようとしないでしょう。
このような場合には、余計な勉強になります。

しないことに越したことはない

その必要性がなければ、勉強をしないことに越したことはありません。
勉強をすることで、時間がとられてしまいますが、その時間を他のことに割り振れば、別のことができます。

しかし、勉強をしたいと思った時はどうでしょうか?
勉強をしたいと思った時にする勉強は、余計でしょうか?

自分がしたいと思った時にする勉強は余計ではないでしょう。

英語で法人税法を勉強したいと考えていた時、日本語の法人税法もよくわかっていないのに、英語で法人税を勉強するなんて…、という人もいます。
そういう人がいても、その人が言うことは気にしないようにしましょう。

興味があるときは勉強する

勉強は興味があるときにするのが、一番効果があります。
興味が無くて、無理にやらされていると、勉強をすること余計なものになってしまいます。

もしも興味があるときに勉強をしないということになると、いつ勉強してするのか、ということになってしまいます。
いつまで経っても、その知識を仕入れることができなくなってしまいます。

知識のレベルに甲乙を付けて勉強をするのではなく、その知識に興味があるときに勉強をすべきです。
勉強を始めて、もしも基本的なことでもわからないことが出てきたら、それを恥じるのではなく、その時に調べて勉強をすればよいだけです。
基本的な知識がないから、興味があっても勉強しないという事になってしまうと、いつまで経ってもその知識を身に付けることはできないでしょう。

基本的知識がないことを知った時に勉強をすることが、基本知識を身に付けるチャンスです。
その時が一番身につきやすいので、興味があるときには、誰に何を言われたとしても、すぐに勉強をしましょう。